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帰路
6月6日
午前5時。
ベッドから起き上がり、散らばっていた荷物をまとめると
朝の準備が済んでしまった。
化粧をする必要も、着替える必要もない。
ホテルの朝食には早すぎて、開いているお店もまだない。
ヒンヤリとした朝の空気の中を、バスターミナルまで歩く。

昨日からずっと考えていたけれど
今朝、本当にバスに乗れるのだろうか。
バスはクラペイダかどこかから出ていて、そこで満員になってしまえば
シャウレイからは一人も乗る事ができないのだ。
チケットの予約はできないため、バスが実際に来るまで
乗れるかどうかははっきりしない。
しかもそのバスというのが、15人程しか乗れない小さな車。
昨日、シャウレイから乗れなかった人たち(3、4人はいた)
が今朝また来ているならば、乗れない可能性の方が高いような気がする。

もしダメだと言われたら、席がなくても、立っていてもいいので乗せてもらおう。
それでもダメだと言われたら、どうしよう。
泣いたりしてみようか?
暗い気持ちでバスを待つ。
5:55分。
やってきたバスは、外から見ると昨日と変わらず多くの人が乗っているようだった。
誰よりも早く運転手に駆け寄るも、返って来た言葉はまたも「No」。
・・・やっぱり!

しかしここで諦めるわけにはいかない。
昨日の14時過ぎから待っているだの
この便を逃したら日本に帰れないだの(本当はフランス)
どうしても乗りたい、と頼み込むと
「わかったよ。じゃあ40リタス。」
としぶしぶ乗せてもらえる事になった。
良かった!これで何とか飛行機には間に合うはずだ。
運転手に40リタスの乗車賃を渡し車に乗り込むと、席はまだ3つ空いていた。
安全上満席にはしない、等の理由があるのかは分からないけれど
  空いてるじゃん!
と心の中で突っ込む。

バスの車窓からは遠くに十字架の丘が見えた。
その後のドタバタですっかり頭の中から消えてしまっていたけれど
あの光景を見る為に、こんな所まで来たのだ。
きっともう二度と来ないだろうな、と私にしては珍しくそう思う。


バスは予定通り、8時前にリーガに到着。
すぐにホテルに戻り、荷造りをしてバタバタと空港に向かう。
鹿児島空港よりも小さく見えるリーガ国際空港で
バルチック航空の鮮やかなグリーンの搭乗券を手に、やっと一息つく。
間に合った...。

乗換のアムステルダムは雨だった。
リーガとは違い巨大なターミナル。
港内の売店にはチューリップのお土産が並んでいた。
売店で手巻き寿司を買ってみると、醤油もなく、米が一部凍っていた。

やっと辿り着いたジュネーブ空港では、初めてのロストバゲージ。
それでもまあ、次の便では来る様なのでのんびりと待つ。
そういった情報が英語ないしフランス語で得られる場所にいるだけで
随分と気持ちに余裕がある。
荷物が出て来たらピックアップの車に乗って家に帰るだけなのだ。

先週は、雪が降った、という話を車の中で聞いた。
バルトはあんなに暑かったというのに。
鳥のように飛行する無数のパラグライダーを見上げながら
既に郷愁のようなものが芽生え始めている事に気付く。
夜の闇と川のせせらぎ。
私の家の近くには、そういえばいつも、川が流れている。

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by oyabing2002 | 2011-06-28 18:21 | バルトの旅
バッドラック
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6月5日
ホテルは近代的な建物で
  と言ってもエレベーターがある、とかMTVが映る、とかその程度  
4階の部屋からは平坦なこの地方の遥か遠くまでを見渡せた。
予定になかった地での緊急の宿。
予定になかった出費。
明日への不安。
バスタブのあるお風呂なんて本当に久しぶりだったので、お湯を溜めてゆっくりと浸かる。
コンタクトレンズも外せないし、化粧品も持っていないので顔も洗えないけれど
身体だけでもリラックスさせたい。
お湯につかりながらも気持ちが落ち着かない。
この街から出られるのだろうか、という不安が大きく心を覆う。
早くこの国(街)を出たい、だなんて、
亡命者でもあるまいし。

言いようのない怒りの様なものがくすぶっている。
どうすればこの事態に陥らずに済んだか、と考えてみても
私のできる事は、あれ以上はなかったはずだ。
自分の落ち度さえなければ、ほとんどの事が補償されている国なんて
本当にここ何十年かの、一部の国だけの話だな、と思う。
バッドラックの責任の押しつけ先なんてない人達が、未だ世界には多くいる。
一瞬本気で焦ったものの
今はこうして一晩を過ごす場所も見つける事ができたのだ。
明日、リーガ行きの始発バスに乗れさえすれば、帳尻は合う。
乗れさえすれば。


窓の外には、ドラマチックな夕焼けが広がり、
茜色は左から右へ滑るように移動しなかなか地平線まで届かない。
今日は、一晩かけて沈まぬ夜を見届けてやろうか。
窓を開け放って、ずっと、太陽の行方を。

と思っていた矢先、空は色を失う。
ここはこの旅の中では最も緯度が低い地。
タリンに比べれば、夜もだいぶ薄暗い。

諦めるようなほっとしたような気持ちでベッドに入った。



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by oyabing2002 | 2011-06-26 00:29 | バルトの旅
バス
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6月5日
リーガから十字架の丘行きの日程には余裕を持たせたつもりだった。
隣の国とはいえ、距離にして僅か100キロ強。
バスで二時間。
無理なスケジュールではない。

しかし計算外だったのは、首都を離れた田舎町の英語の通じなさと
旧社会主義圏のサービス精神のなさ。
誰も自分の仕事からはみ出た事には関心をもたないし、
自分の仕事すら単なる義務という顔をしている。
観光地を離れると、こんなにも大変だとは。

一日3便しかない、シャウレイからリーガへ帰るバスの最終便は16:45。
余裕を持って15時前にはバスセンターにいた。
チケットは事前には購入できず、運転手から直接買わなければいけない。

待つのもそろそろ飽きた16:45、リーガ行きのバスがやってきた。
チケットを買おうと、車を降りた運転手に近付くも
帰って来た言葉は「No tickets」。
ん?何で?
私がロシア語もラトヴィア語も分からないと知って、乗客の一人が英語で教えてくれた。
「もうスペースがないんだよ。今日はこれが最終便だから、また明日だね。」
ええ!そんな!困る!
今夜の身の置き場はともかくとして
明日の朝の便でリーガ国際空港からフランスに帰らないといけないのだ。

あわわ、とあわててバスセンターの窓口に行くも、誰一人英語を話せない。
筆談で
「今のバスがfullだったから乗れなかった!」
と何とか伝えると
「ああ~、なるほど。」
と次の時刻を書いてくれた。
「次?今の最終でしょう?今日くるの?」
不信の目を向ける私に、「今日くる」と頷くおばさん。

待っている間にツーリストオフィスに行ってみるも
日曜の夕方に開いている訳もなく。
電車がないのは一応分かってはいるものの、
もしかしたらダイヤが変わっているかもしれない、と駅に向かうも
やはりリーガ行きはないと言われる。
ダメだ、バスだけが頼りだ。

それから二時間待ったもののバスは来ず、仕方ないので白夜に頼って朝を待つか、ホテルを探すか迷い、ホテルを探す事にした。
持っていたガイドブックに載っていた1番近いホテルに行ってみたが
営業しておらず、玄関が開いていない。
閑散とした街には銃を携帯した警察がうろうろしていた。
営業しているホテルを教えて貰おうと
「英語話せますか?」
と聞くと、 冷たく
「No!」
の一言。
助けてくれる気はないらしい。

道端で親子連れに話しかけるも、また通じず。
かろうじて、ホテル、と言う単語を分かってくれたので身振り手振りで道を教えてもらう。

教えてくれたのは街一番のデラックスホテルだった。
この際、営業してれば何でもいいや!
しかしレセプションで、空いている部屋はないと言われる。
ウソー?
こんなガラガラの街にそんな宿泊客がいるの?

レセプションの女性が親切に
「違うホテルを紹介しましょうか?」
と、電話をかけようとしてくれた。
  何故か電話が繋がらない。
…電話、繋がれよ。

歩いて五分だから!
と言われ、とりあえず行って 恐る恐る訪ねる。
「部屋、空いていますか?」
「イエス」
・・・助かった・・。

明日の朝、5:55のバスに乗れれば、何とか飛行機にも間に合うはずだ。
乗れれば、の話…。




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by oyabing2002 | 2011-06-25 00:03 | バルトの旅
十字架の丘
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6月5日
ラトヴィアの首都、リーガから日帰りの予定でお隣のリトアニアにある
十字架の丘まで足を延ばした。
私がバルトの国々に最初に興味を持つきっかけとなった場所だ。
大陸の隅っこにある小さな国の、首都から遠く離れた田舎町、シャウレイ。
そこから10キロ程離れたバス停で下車し、更に2キロを歩く。
十字架の丘へ向かうバスはおんぼろで、バックミラーに吊るされた
化け猫のようなぬいぐるみが揺れるのを眺めながら、
なんだかとても遠くまで来てしまった気がした。
乾いた晴天だというのに、バスの窓は水滴で曇りきっている。

バス停で降りたのは私一人だった。
人っ子一人いない見晴らしの良い道。
通り過ぎる車もほとんどない。
炎天下に吹き抜ける風を感じながら見上げると
飛行機雲が交差し、空には大きな十字架が浮かんでいた。
じりじりと太陽が照りつける。
バルト三国がこんなに暑いなんて、思っていなかった。

歩いていると遠くにごちゃっとした固まりが見えたり隠れたりする。
平坦に見えても、多少の起伏はある様だ。

やっと辿り着いた十字架の丘のインフォメーションセンターで
水分補給をしながら息を整える。
帽子がなければ熱射病になってしまうのではないかという程暑かった。

十分に休んだ後、丘に向かって歩き出した。
思っていたよりもだいぶ小さい。
小さな丘が100万本とも言われる無数の十字架で埋め尽くされている。
昨日亡くなったと連絡のあった親戚の為にロザリオを一つ買って
お線香代わりに残して来た。
遺族にとってはなんの慰めにもならないけれど。

十字架の丘は、墓所ではなく、
ソ連(ロシア)の圧政により処刑された人々、シベリアに流刑された人々の為に
19世紀頃から大小様々な十字架が建てられるようになった場所だ。
リトアニアとラトヴィアのカトリック教区では木工や鍛冶工での十字架製作が
長い伝統で、それはユネスコの無形遺産として宣言されている。
これらは自然崇拝の影響も多分に残し、太陽やへびを形どった特徴的なものも多い。
この地域の人々にとっては十字架の丘は精神的支えであり
民族、宗教の象徴的な”聖地”でもあるのだ。
KGBにより幾度となくなぎ倒されても、その度に夜の闇にまぎれて
人々は十字架を建て続けた。

宗教について軽々しく物を言うのは避けたいが
奇跡の伝説が残る聖地よりも、民衆の願いが集う場所としての聖地である
この丘は、私にとってここ数年、憧れの場所だった。

帰りのバスまで時間がありすぎたので、たまたま居合わせた日本人と
タクシーを相乗りしてシャウレイのバスセンターまで帰った。

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by oyabing2002 | 2011-06-22 22:36 | バルトの旅
森の大民芸市
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6月4日
タリンでシャンプーを使わずに石けんで髪を洗っていたら(恥)
3日目には髪の毛が何だかもずく昆布のようになって来た。
昨日は立ち寄ったデパートでラトヴィアのオーガニックブランドMADARAのシャンプーをみつけたので、購入して使ってみたら今朝はサラサラ。
一日でこんなに差が出るもの?
とりあえず、シャンプーの力はすごいという話。

今日は森で開かれる大民芸市の日。
「森の民芸市」という言葉に惹かれ、今回の旅を決めた。
この民芸市がなければ、こんなに早くバルト三国を訪れる事はなかったかもしれない。

ぎゅうぎゅうのバスに揺られ、旧市街から30分程行ったところに
ラトヴィア野外民族博物館はあった。
皆行く先は同じのようなので木立の中をぞろぞろと進む。
先日のエストニア野外民族博物館よりは深く広いけれど
日本の森とは違い、やはり爽やかでどこか明るい。
どちらが好き、という訳でもないけれど、散歩には心地よく
同時に物足りなさも感じるようなヨーロッパの森。
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午前中の明るい日差しの中、森の中には多くの店が出店していた。
蜂蜜やお菓子を売る店、ネズの木の工芸品を売る店、ニットものを扱う店
かご屋さん、チーズやハム、毛皮、何故か魚屋さんの屋台まである。
可愛いミトン吊るされていたり、かごが大量に並んでいたり
日本から仕入れに来ているらしい人もちらほら見かけた。
手織りの布を売るおばあさんや仙人のようなおじいさん、店番の子供達、
買い物客の中にも民族衣装を着た人達がいる。
民族衣装って、やはりとても良いものだ。
着ている側も見ている側も、歴史や文化の存在を意識する。
私も着物が着たいなあ となんとなく思う。
森を抜け、開けた辺りに飲食ブースが並んでいた。
広々とした川を眺めながらワンプレートのランチをほおばる。
帰り道に、目をつけていたものをいくつか購入した。

街に戻り、バスセンター裏手にある中央市場に行ってみると
先程森で多く見かけたような民芸品が多く売られていた。
少し拍子抜けはしたものの、森で買い忘れたミトンを手に入れ
ロシアっぽい室内履きを試着する。
かわいい・・・
でももう荷物が・・・
明日また来よう。

中央市場は建物内よりも外の屋台の方が活気があった。
花や野菜、安い既製服からお土産品真で色々なものがある。
ゴシックだのアールヌーボーだのは、ヨーロッパでは(特にフランス)
見飽きる程見たけれど、中央市場の向こう側に
スターリン様式の建築を見た時に、次はロシアに行きたい、
という気持ちがむくむくと湧いて来た。

ビザの関係で簡単には行けない所だけれど
数年前から募っているシベリア鉄道へ乗る夢も実現させたい。
特に冬が良い。
凍ったバイカル湖を見たい。

とりあえず明日は、リトアニアの十字架の丘に行く。




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by oyabing2002 | 2011-06-21 19:09 | バルトの旅
白 青 緑
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6月3日
タイクツ、と言ってしまいたくなる程
視界には緑、緑、緑。
そしてブルー。
いや、好ましい退屈は、”穏やか”と言う事なのではないか。
こんな心持ちでいつも居たい、と願う心境。
”穏やか”。

青空と緑の延々と続く中をバスは滑るように走る。
タリンを出てかれこれ100キロ以上はほとんどこんな景色だ。
ふとエストニアの三色旗が目に入る。
ついに国境らしい。
電車で国境を越えた事はあるけれど、バスで越えるのは初めてだ。
しかしバルト三国も今やEU圏。
シェンゲン協定実施国でもあるのでパスポートチェックもなく
再びバスは静かに滑り始める。
車外は変わらず緑、緑、緑。

タリンからラトヴィアの首都、リーガまでのバスは、
サービス係が付いている、「ビジネスクラス」と書かれた新しいものだった。
所要4~5時間、わずか23ユーロの快適な旅だ。
道路を取り囲んでいる林は、良く見たら松のようだ。
すっとした細い幹なので、てっきり杉かと思っていたけれど。

松林が途切れると、時々海が見えるようになって来た。
リーガ湾だ。

リーガはタリンに比べると、だいぶ大きな街だった。
早くもタリンの凝縮された魅力を懐かしく想う。

明日はリーガの野外博物館で年に一度の大民芸市が開かれる日。
今回の旅程を組む時、メインに据えたイベントだ。
早起きして行かなければ。
というか朝まで明るいので、タリンではあまり眠れなかった。
朝かな、と思って時計を見ると夜中の2時だったり。

白夜の時、夜行性の生き物達はどうしているのだろう。
このあたりにはそういう動物はいないのだろうか。
鳥は、いつ休むのだろう。



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by oyabing2002 | 2011-06-18 00:18 | バルトの旅
危機感
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6月2日
バスセンターへ明日のリーガ行きチケットを買いに行く途中スリにあった。
と言っても、盗難の被害はなかった。
トラムに乗り込む際に若い男にぶつかられ、その時に
ジーっという、ジッパーの開く感触がしてバッグを見ると
開けられていた。

「あ、こういう風に来るのね」と妙に感心してしまった。
街の空気に惚けてすっかり危機感が薄れていた。
私は外国人観光客なのだ。


野外博物館行きのバスに乗るため、旧市街を横切って駅に向かうも
ギャラリーや博物館、工芸店が面白くてなかなか目的地に辿り着けない。

1410年に建てられた大ギルドの会館は、現在は歴史博物館として
使われている。
2年間の改修工事を終えたばかりだそうで、館内は程よくデジタル化され
センスの良い展示空間になっていた。
タリンの街中にあるギャラリーを見ても思うけれど
展示のクオリティが高く、文化レベルの高さを伺わせる。
言葉や歴史背景が分からなくても、見ているだけで楽しいものが並んでいた。
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野外博物館はバスで西へ20分程。森というよりは林の中にあった。
エストニアの伝統的な家屋が数棟移築され、民族衣装を着たエキストラもいる。
エストニア料理の食べられるカフェもあったけれど、混んでいたので諦めて
ジュネーブで買ったクッキーを食べながら歩いた。
古い納屋なんかは、正直、田舎の祖母の家と変わらないので
余り珍しいものではなかったけれど、天井の低い住居部は可愛いと思った。
岸壁には漁師の小屋が移築されていて、遠く対岸には現代の港が見えた。
波の寄せる音は日本と変わらない。


さっき立ち寄ったお店で、地震の事をたくさん聞かれた。
  日本人は地震に慣れているから、パニックにならず冷静で素晴らしいわね。
  でも気丈に我慢している姿を見ると、涙が出るわ。
  エストニアに地震は?
  全然ないの。身体に感じないくらいのものはあるけれど。
  もし地震が起こったら、みんな慣れていないから凄いパニックになると思う。
  永遠に起こらない事を祈るよ。だって、この街並がずっと残って欲しいから。
  そうね。日本も早く復興すると良いわね。

でも、日本には地震が多いけれど、誰もあんな地震は経験していなかったよ。
あんな地震は、私達にとっても初めての事だった。
勿論、原発の事も。
説明したけれど、うまく伝わらなかった、と思う。




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by oyabing2002 | 2011-06-17 22:27 | バルトの旅
タリンの音
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6月1日
角を曲がると展望が開けていた。
ヴァイオリン弾きのおじいさんが上機嫌で演奏をしている。
どこかで聴いた事のあるような、ないような、単純なメロディー。
観光客が笑顔で近付いて一緒に歌っている。
一人去ってもまた一人、そのうち数人で気持ち良さそうに歌っている。
眼下には古いテラコット色の屋根の街並。 
今日も風が吹き、木の葉がそよぐ。
タリンには道ばたの演奏家がとても多い。
そして足を止めて聴き入る人も多い。
音楽を、皆が楽しんでいる。

次の曲が始まったと思ったら、また同じ曲だった。
というか同じフレーズだ。

ラーイラーイララーイ
ナーンナーナナナー

風が吹いて、優しい音楽が聴こえて、テラスに座って…。
なんて気持ちのよい街だろう。
こんな日常を味わっているなんて、この街に住む人は贅沢だなあ。

ホテルの天窓を開けていたら近くででカモメが鳴いていた。
猫のうなる声も聴こえる。
この街の美しい空気をパッケージして持ち帰る事はできないけれど
(そしてそれを望むわけでもないけれど)
タリンを想うとき、私はきっとこの天窓を思い出すのだろう。
大気の流れる音とカモメの鳴き声の記憶が入り口となって
タリンの街が広がってゆく。
でこぼこの石畳の感触さえ、忘れたくないと思う。

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by oyabing2002 | 2011-06-13 18:20 | バルトの旅
Tallinn
5月31日
ジュネーブ空港からヘルシンキを経由し、エストニアの首都タリンへ。
飛んでいる時間はトータルで5時間程だったけれど待ち時間が長かった。
朝の7時に家を出たのに、タリンに着いたのは夕方の5時(時差+1時間)だった。

途中、
私は本当に旅が好きなのかな?なんて考えが頭をよぎる。
少なくとも乗り物酔いをするので移動は苦手なのだ。

疲れて降り立ったタリンは和やかな雰囲気の漂う、美しい街だった。
荷物を置いて街に出ると、旧市街の入り口に、花屋が軒を連ねていた。
ここに三泊するのだから、と小さなすずらんの束を買った。
城壁で囲まれた小さな旧市街に多くのレストランや土産物屋、ギャラリーがあり
そのどれもがとても感じが良い。
南仏の小さな村にも似ているけれど、もっとホンワカしていて可愛らしい。
そして、田舎だと思っていたけれど、北欧が近いせいか非常に洗練されている。
旧市街自体も、保存状態が良く、裏通りに迷い込んでも荒れた感じはしない。

土産物屋(というよりもセンスの良いギャラリー)をうろついていると
外から楽隊の演奏が聴こえて来た。
花屋の裏手は一段高くなっていて、そこにある公園で仕事帰りのような人々が
なんとも単純で可愛らしい曲を演奏していた。
暖かい風が吹いて、木の葉を揺らす。
じんわりと胸にしみわたる心地よさ。

過去の度重なる占領や抑圧の歴史、
そして現在もロシアとの間に残る様々な問題を考えると
その穏やかさには感動すら覚えた。

そういえば、観光地であまり写真を撮らなくなった。
ガイドブックで目にするのと同じ写真を撮ってもしょうがない。
写真には写らない空気を味わう事が、旅をする意義だ。
やっぱり私は旅が好きなのだ。

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by oyabing2002 | 2011-06-12 00:02 | バルトの旅
そうだ、バルト三国いこう。
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最近一番行きたかった国はエストニア。
バルト三国の一番ロシア側にある、人口130万ちょっとの小国。
その地理的な理由から、バルト三国は歴史上何度となく、というかほぼ常に
周辺国に支配されてきた。
だってあのロシアとポーランドに挟まれているんだもん。
ドイツやスウェーデンにも侵略され、大国の間でたよりなく漂う小舟・・・

でも人々は、自分たちの文化を頑に、密かに守り通した。
そして賢明な彼らはゴルバチョフのペレストロイカに乗っかって
見事なタイミングで、いとも巧みに独立を勝ち取った。
そこからソ連の崩壊と東欧諸国の民主化が本格化し
東ヨーロッパの「現代」が始まった。

エストニアのそれは「歌いながらの革命」と呼ばれている。
一見地味にも見えるエストニアの三色旗は、上から、青、黒、白。
これが意味するのは青い空と黒い大地と真っ白な心、だそうな。
ソ連統治下ではこの旗を隠し持っている事がばれるだけで、即シベリア送り。
けれど人々はこの旗を、街のシンボルである塔にいつか掲げる事を諦めなかった。

そして文芸の盛んではなかった国で、脈々と受け継がれて来たのは
膨大な数の民謡だった。

独立への民衆運動が盛んになってくると、どんな政治集会でも歌が歌われたと言う。
歌いながら、暴力に訴える事なく、自由を手にした彼ら。

今でも合唱を愛し、5年に一度大規模なsong festival が開催されている。
(小規模なものは年中やっているみたいです)

上のリンクは2万人の合唱隊と10万人の観客の動画。
エストニアの有名な作曲家、シサスクの曲だそうです。
鳥肌が立つ程 素晴らしいです。

何が素晴らしいって、色んな民族衣装がある所。
それぞれの地方の民族衣装を着た人々が同じ歌を歌っているのが
とても良い。

自分たちの文化を本当に大切にしている人は
他民族の文化をないがしろにしたり、ましてや弾圧したりはしない。
その価値を知っているから。



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by oyabing2002 | 2011-06-09 23:34 | バルトの旅



思う事、好きなもの、旅の記録。
by oyabing2002
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旅をするのが好きです。

2012年4月に
フランスワーホリから戻りました。

趣味はサッカー観戦
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