原発事故の直後、実家の九州に帰ったらしい、という人の噂を聞いた。
直接の知り合いではないけれど一人、二人ではなかった。 自分も仕事を辞めて帰りたいという友人に、私は 「チェルノブイリ級の事故が起こっても、東京まで被害は及ばないでしょう。 今はみんなが恐い思いをしているけど、投げ出して帰ったらパニックになるから もう少し冷静に考えよう」と言った。 それでもしきりに帰りたいという彼に私は辟易した。 「自分だけ助かればいいの?そんなに恐い?」 政府や東電が信頼できるかどうかは別として 日本の将来の為にできるだけ日々を冷静に過ごす事が大切だと信じていた。 恐いけど、勇気を出して、信じた。 簡単に右に倣えしたわけじゃない。 (日本人の気質上、そういった人も少なくはないけれど) 混乱を避ける為の情報操作はあるにしろ ここまでの事態が起こっている事を隠すことはできないと思っていた。 IAEAもこの状況での隠蔽を許す訳がないと、勝手に信頼していた。 「日本政府にとっては隠蔽したい事が起こったとしても、IAEAにとっては日本の国益や政府の事情よりも原子力の信頼を失墜させるような事態を避けたいはず。だから最悪の事態がもし起こったとして、それを公表するかしないかと言ったら、もちろん公表するでしょう。隠蔽した事が後で発覚したら、それこそIAEAに対する不信や反発が起こる。」 だから、私は信じる、と言った。 もし、メルトダウン、放射性物質の漏洩が起こっても、東京に居ると。 でも後悔している。 自分の責任に置いて、信じると決めた事に対してではない。 (フランスに来る『用事』がなければ、今でも東京で働いているはずだ) 彼の判断に、彼とその妻の未来に、私が何らかの影響を与えたかもしれない事に対して。 彼を無知で弱虫だと思った事に対して。 それを含ませた言葉を彼に浴びせた事に対して。 彼は、守りたいものがあっただけなのに。 IAEAはメルトダウン後の格納容器損失の公表が遅れた事に対し触れていないそうだ。 『触れない』 その手があったか。 10年経っても、やはり私は甘いままだ。
by oyabing2002
| 2011-05-16 17:15
| 日々
|
プロフィール
生活を味わいながら
旅をするのが好きです。 2012年4月に フランスワーホリから戻りました。 趣味はサッカー観戦 アーセナルサポです。 カテゴリ
全体フランスの日々paris フランスの日々chamonix フランス一人旅 2007 フランス一人旅 2010 バルトの旅 イベリア・モロッコ紀行 ひとのことば 日々 NZ ドイツ スイス イタリア 英国 未分類 以前の記事
2015年 04月2015年 02月 2015年 01月 2014年 10月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 01月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 05月 2010年 03月 2009年 11月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2008年 10月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ファン申請 |
||